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  • 執筆者の写真Tomoo Onoda

明るい喪中


祖父が死んだ。

102歳だった。

最初に危篤と言われたのが半年前の春である。

食事がのどを通らなくなり、尿が出なくなった。

たしかに自然に任せるなら危篤である。しかし、点滴をしてもらったら、すぐに歩き始め、食べるようになった。

それから、何度も危篤と言われては復活を繰り返し、ようやくの大往生であった。

お酒が好きな人で、100歳を超えても一升瓶を手放さなかった。

私が、患者さんにもらったウィスキーのボトルをもっていくと、うれしそうに私の手にお札を握らせて、とっとけという。ボトルは二日もすれば空になった。

通夜では、祖父の話をしながら酒をのみ、皆笑っていた。誰も泣いていない。そりゃそうだ、ここにいるうちの何人が100歳まで生きられるか。

70代では、入れ歯を飲み込んで食道につかえさせ、家族に黙って一人で高梁の田舎から電車に乗って大学病院へいった。緊急で開胸手術が必要だということで、病院から家族が呼び出され、事件が発覚した。そのときに死んでもおかしくなかったような事態である。入れ歯を飲み込んだのが恥ずかしかったからこっそり出かけたとのことだった。

それから20年。酒を飲みつづけて102歳。うらやましいような大往生であった。


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